教えるってどういうこと? その3
こんばんわ 紅です
読んでくださっている方に感謝しています。
励みになります。
教えるということについて考え込んでいます。その3になります。
初回とその2のタイトルが違うことに今気づきました。^^;
針を持つのは得意ではない私にとっては、「和裁」のハードルは決して低くはなかった。
「着付けを仕事にする以上、避けて通れないのではないか・・・」
という気持ちは付きまとっていた。
そんなある日、知人が自宅を提供してくれて、和裁のできる年配の方を先生にサークルを立ち上げ、誘ってくれた。そこに通いながら、やはり「教室に和裁を習いに行く」必要性を感じ始めた。(このサークルは先生のご都合で1年ほどで解散した。)
和裁を教えている教室を調べて何件か見学した。
いろんな講座の一つとして「和裁教室」があるカルチャーセンターを見学した時に「ついて行けそうもない」と感じた。なんというか・・・高校生に戻ったような集団行動っていう感じだったからか? 今になって振り返るとそんな感じ。
他に、着物教室の和裁クラスを見学に行った時に、着物を着た年配の先生から「もう一度よく考えて出直してきなさい」と言われた。
もう一度、出直して入会した。
なんだかここに行くような気がした。ご縁というのかな。
その頃の生徒は4人くらいだった。
先生は和裁クラスを担当しているけど着付けの先生でもある。
先生にはポリシーがあって、「着付けがある程度できるまで、和裁を習うのはダメ」
そんなわけで、和裁の生徒は「よそ者」がメイン。
教室で浴衣の反物を購入して、浴衣を縫い始めた。
これが一番きれいに縫えているのではないかと思う。
ほとんど先生の手が入っている。
和裁を習うと決めた時から、リサイクル店などで反物を買い集めていたので、教室で習うのと同時にもう一枚自宅で縫った。
先生が鮮やかな手さばきであっという間にすることを、家で一人で3時間かけてあーでもないこーでもないと。
毎回失敗してばかりいる自分は
「頭がどうかしているのではないか?」
と思ったものだ。
今から思うと和裁の先生も達人タイプで、教えるプロではなかった。
あんまり失敗ばかりすると
「言ってもわからないんだから教えません」とキッパリ。
それでもわからないままでは前に進めない。
相談に行くと、目にも留まらぬ早業で先生が仕上げてしまうので、私はわからないまま通り過ぎることに。
質問したら、なんて変なこと聞いてくるのという状態なのでおちおち質問ができない。
見て盗めという学習法らしい。
わからぬまま、また1枚、また1枚と縫い進める。
しばらくは同時進行で、家でもう一枚縫ってみるということを続けていた。
その間にも時々、門を叩いて和裁を始める人がパラパラ・・・
1枚仕上げられる人はそれほど多くはなく、ほどなく去っていくという繰り返し。
いつの間にか、私が入会した時の生徒も皆辞めいてた。