教えるってどういうこと? その4
こんにちは 紅です
今日は友人が遊びに来てくれました。
引き続き教えることについて考えている。
和裁に関しては、枚数は進むのだが、「わかった」と思えない時期が続いた。
門を叩き去っていく人たち。
先生のあんまりウエルカムではないそぶり・・・
私の時もそうだったけど、習い事はこんな物と思っていた。
やる気満々でいた人も、灯りが消えたようになっていつの間にか来なくなる。
私はお稽古場で無駄がないように、できるところまでは宿題でやっていき、わからないところを学んで帰れるよう努力した。先生に褒めてもらった記憶はない。
いつの間にか浴衣は一人で印付けができるようになった。
でも、運針も自信がなく、額縁も曖昧。
それでも長襦袢も一人で縫えるようになった。
単も縫えて、袷に。
まだまだあやふやだけど一応縫えるように。
月日は流れ、様々なもの200枚くらいは縫ったのではないかと思う。
それでも、まだ「縫えるようになりました」とは言えない。
わからないところだらけだから。
学び続けるということは「わからないという立場」を取り続けるしかない。だからわかるようにならないのかもしれない。
この均衡状態に亀裂が入った。
この亀裂のことはまた後ほど書きたいと思う。
たぶん、何かが起きて先生は急に年をとったような気がしていた。
そろそろかな、予感はあったが先生はついに退くようなことを匂わせた。
もう教えてもらえないかもしれない。
先に生まれた人の性、先生は生徒を置いて消え去るのか。
まだ、学んでいないのに。
どうしよう。
自分に置き換えると、仕事を受けるためには元気でいなければという責任を感じる。
約束があるのに死ぬわけにはいかない。
けれどいつまでも生きていられるわけでもない。
どこかで終わりはくるのだと思う。