平成の世でも弱者は搾取の対象か?
おはようございます
紅です。
今日はちょっとガス抜きに。
ラッセルの幸福論「100分で名著」4回終了した。
前回も書いたことだけど、この放送中に仕事場でのクレーム対応とお姉さんたちの諍いに遭遇。
平和と幸せについて考える機会をいただいた。
仕事場での「犯人探し」や「心無い言葉」「大切にされていない事実」
などで、お姉さんたちの心は憤懣だらけ。
我慢の限界まで堪えるのは、非合理だと思うけど。
多くの人はそれに気づかない。
自分を痛めつけ、我慢することで「自分が正義、相手が悪者」
と言える、ある種の正当性ある筋立てができるらしい。
客観的に見るとどっちもどっちなんだけど。
仕事場の、難癖や、脅迫の源泉は下請けいじめをする企業にあるらしい。
元を辿れば、消費者のクレーム。
お金を稼ぐために、人間性を売るのは嫌だ。
私はそう思う。
昨日は、諍いがあってから初めてのお姉さまたちの顔合わせに同席した。
私がいると場が和むらしい。
しばらく自分の起業の仕事がいっぱいで顔出ししていなかったから。
私はいなくなると存在が分かるタイプらしい。
なくなると困る、トイレットペーパーみたいな存在か?
仕事場からの無理難題、時給で働く私たちに「失敗した時のペナルティが罰金一万円だと」
人のよいお姉さまが、ちょっとしたミスを叱られて「今度やったら罰金」とオーナーから電話で言われたそうだ。
そんなことあり?
受け入れてしまうお姉さんたちの人のよさにつけこむブラック企業は制裁を受けるべきなんじゃないかと思いつつ、ラッセルの幸福論を思う時・・・
憤懣の中に身を置かない。
それが、今の私の幸福論。