紅の平成 ☆ きもの暮らし

特別じゃないふだんの着物とキモノにまつわるあれこれ

教えるってどういうこと?

こんばんわ 紅です

今年の夏くらいからだろうか・・・気になってきたことがありました。

短期間で解決するものではないと思うのでライフワークのような感じで時々取り出して考えています。

 

教えるってどういうことなんだろう?

という問い。

 

今までいろんなことを習ってきた。

僭越ながら人にも教えている。

 

教えるということはあんがい難しい。

熱烈に教えればいいというものではない。

わからない人にわかりやすく教えるのが上手な教え方と思っていた。

 

けれど、仕事にすると懇切丁寧がいいわけではない。

そくたく・・という言葉があったけど、それそれ!

鳥の雛が卵から孵る時に、親鳥が外側から殻をつついて助けてあげるという阿吽の呼吸のようなもの・・・それが「教えるもの、教えられるもの」の極意だということ。

 

私は着付けを教えている。

師匠と弟子みたいな関係が嫌なのと、仕事の種類がたくさんあるので束縛されたくなくて定期的なレッスンをしていない。

「来たい時に来てください」

なんともゆるい。

あんまり長く続く人はいない。

 

頑張ってきてくれている人がいる。

でも、こちらから見ても、いつ来るかわからない状態なので「何をどこまで教えるか」組み立てづらい。モチベーションも高まらない。

免状なども出さないので、どのくらい腕を上げているのかもわからない。

 

ある時、レッスン中に無断(というより隠れて)で動画を撮影していたのに気づいて(被写体は私)嫌な気分に。

「学びたい。うまくなりたい」

という気持ちはわかるけど、私は仕事で教えているのに動画をとってショートカットしようとするのは営業妨害じゃあないのかと。

会得したいならちゃんとお金を払ってくださいという気持ち。

 

昔々にできた師弟関係流派一門という構図もあながち悪くないのかもしれないなどと感じたり。

 

自分が教わる側に立つとまた様相は違う。

 

子どもの頃、お琴を習っていた。

先生から

「お家の方に伝えてね」

と言われてお中元とお歳暮の渡し方を教えられた。

月謝と同額を熨斗袋に入れて、その下に台をつけてお渡しする。

台はお菓子など気の利いたプレゼントがいい。

ある時お茶を台にしてきた子がいて、先生はその子が帰った後、私の目の前で

お茶を手で払って

「葬式みたいで嫌だ」

と言った。

「なかなか難しいんだ」

子ども心に感じたものだ。

お免状をいただく時は、先生にも同額のお礼をした。

もちろん台をつけて。

 

その後は、そういうのが嫌で、一門に入らない先生を選んで学んできたようにも思う。

着付けは公民館のサークルで習った。免状なんてないし、カリキュラムもない。

先生が気が向いた時に内輪の発表会をやる程度。

10年やっても、ものにしている人はいなかった。

 

私は「教える仕事」を始めたのでそれなりに練習して教えることができるようになった。

その部分は独学。

そうしたら自分の着付けも理論が通った。

 

そして婚礼着付けの業界に入ることに。

今は先輩に〔70代)花嫁着付けを習っている。

 

やっぱり長くなったのでまた次回!