そっと、ひとりごと
こんばんわ 紅です
書きにくいことだけど、書いておこうと思ってます。
わかりにくい表現になりそうですが、お許しを。
これは私の推測で、真実とは違うと思う。
でも、教えるということについて考えさせられるできごとになった。
和裁のクラスは先生一人、生徒三人で均衡を保っていた。
先生は「みなさんはちっともわかっていないですね。」と。
私たちは「ちっともわかっていません。先生がいないとできないんです」
というスタンス。
高齢といってもいい年齢の先生にとって、和裁は最後の砦なんだと思う。だから手放すわけにはいかない。教えるわけにはいかない。ヒエラルキーの確認の時間。
たぶん手放さなかったのは私にだけではなく、職場でも。
それがちょっとしたズレになったのではないかと思う。
着付けの師範が今更という時期に和裁を学び始めた。
師範が師事したのは部外の先生だ。
和裁の先生に教えてもらえば円満だったんだと思う。
物理的体力的事情なんだろうか・・・いや乗り越えられないものではないと思うので、なんらかの「切り離し」が行われたのではないかと思う。
師範は器用で、間もなく浴衣を縫えるようになった。
それを和裁をやったことのない着付けの生徒さんに教え始めた。
色とりどりの浴衣が積み上げられている。
少し違和感を覚えた。
和裁体験プロジェクトにするなら、和裁の先生を講師にすれば円満なのに。
高齢の先生は断ったのかもしれない。
ビジネスの中で、先生は置き去りにされてしまったのかもしれない。
師範からすれば手順も踏んで、内部改革を行ったのだろう。
どうしてなのか、会うたびに先生はしぼんでいくように見えた。
そんなとき門を叩いた人が。
「新しい人を受け入れるのなら、まだまだ大丈夫なんだな」
少しほっとした。
先生は新しい方に、優しい言葉をかけて褒めちぎるようになった。
今までのメンバーにとっては、なんとも座りが悪い。
大したことのないことでも褒めちぎるし、丁寧に教えている。
私が耳にしたことのないようなことを・・・
「何度でも聞いていいですよ。教えてあげますよ」
そんな言葉、私は一度もかけてもらったことはない。
花嫁着付けを教えてもらっている先輩みたいに「全てを教えたい想い人」と出会ったとでもいうのだろうか・・
「教えても理解できないんですから教えられません」
という言葉が私の聞き慣れた言葉。
先生は、新しい方に優しく対応してクラスを盛り立てて行く気になったんだろうか?
そんな時に、先生はあっけなく引退をほのめかした。
やっと、想い人が現れたのにもう時間がない。
程よい時間があったのに、先生はなぜ私に教えてくれなかったんだろう。
必要なことを教えてもらっていたら、もう少し上手になれていたかもしれない。
想われ人でなくてもいいから。
私に意欲が足りなかった?
教えるってどういうこと?
という問いが巡り続けている。
人生は有限。
教えは次世代への贈り物かもしれない。