紅の平成 ☆ きもの暮らし

特別じゃないふだんの着物とキモノにまつわるあれこれ

チームプレー

こんばんわ 紅です

久しぶりの団体プレー。

自分の協調性を確認しました。

 

ひたすら着付けの一日。

結婚式場の着付けを担当。

めったに行かないので半分は初めての顔。

古株は以前会った時よりも幅をきかしている。

 

先輩からも聞いていた。

鼻持ちならないって。

 

今日はシビアに忙しかったので私をいびる余裕がなかったんだろう。

そんなそぶりは出さずに、いたって平穏。

私は結構そんな感じで攻撃対象を免れることが多い。

 

学齢期を通しても自分が「いじめられた」という記憶はない。

 

もしもいじめられたとしたら「断固戦う」気概はあるのでそこはかとなく醸し出しているのだと思う。

・・・でも時々間違う奴がいるんだよね。

 

居場所の文句たれなんかそういう輩だと思う。

ギュウの音も出ないように、論破して打ち負かしてイチャモンつけたのを後悔するくらいのことはしてやれる。

 

でも、年取るといちいち怒るのが面倒になる。怒ってわかる相手じゃないんだもん。

バカの壁」という奴だろうか。分かり合えないものはわかりあえない。

相手が病的な場合もあるし。ストーカーになられても困るし。

 

相手に注ぐエネルギーがほとばしっていた若かりし頃とは違う。

それを丸くなったというんだろうか・・・

 

仕事が終わって女性ばかりのスタッフが10人ほど集まってお弁当を食べながら話をした。

こんなことが楽しくて仕事に来ている人もいるんだろうなあ。

人は低賃金できゅうきゅう絞られて働くほうがしょうにあっているのかもしれない。

高待遇でも責任あるのは嫌とか・・・

私が嫌いなブラック雇用システムが繁栄する所以は、労働者の責任を持ちたくないという意識にもあるのかもしれない。

 

清算したら疲れが出た

こんにちは 紅です

先日、たまたま通りかかった場所でスーパーで転んだ老婦人のクッションになった腕が今頃になって痛み始めました。年をとるってこいうことなんですね。

 

感情の渦は去り、周囲の手助けもあり、ことは落着したように見える。

自分では気づかなかったけど、結構張り詰めていたのか、今頃になって調子が悪くなってきた。

「今日は家で仕事」と確認すると体が動かなくなる・・・みたいな。

 

無理して動くと後で穴をあけることになるので、起きてすぐに湯たんぽのお湯を入れ替えてまた寝た。

 

今日は着付けの練習をしなきゃと思っていた。

毎回同じ着物を着せるのなら、練習いらないんだけど「留袖・訪問着の変わり結び・振袖・袴・打掛・・・」と着せるものが様々あると間遠になっているものは直前練習が欠かせない。現場では考えている暇がないから。

 

自分で受ける仕事は時間に余裕を持てるし、あらかじめ着物を預かったりできるので落ち着いて支度させていただくことができる。振袖の帯結びなどご本人のイメージに合わせて考えて見る。オリジナルができることも。

 

着付けの仕事は、腕が鈍ると現場で邪魔になる。コンスタントに関わっていかないとできない。婚礼会場に出かけるのはその一環だけど、本心ではあんまりしたくない。

労働条件が悪すぎるから。

人間扱いされていない。

採用されるときはパート・アルバイトだったような気がするけど、契約書など全くなく、時給で働いているのに毎月請求を出させられる。最初の話では「土日あけといて」と言われたが仕事がこない。忙しいいときだけ声がかかるが、普段働いたことのない会場で要領がつかめず困ることが多い。忙しい日なのでトラブルも多くクレームにつながりやすい。クレームが来ると絞られる。

 

現場には責任者みたいな人もいない。

派遣みたいな形の仕事だと、下手すりゃよくわからぬまま言って着付けをして、誰に挨拶して帰るのかもわからずにその場を去る・・・なんてことも。

 

そういう仕事を受けるのは同業者の労働環境をより悪くするのではないかと思えてならない。

しかし、多くの着付け師はそれで働く。陰で文句は言っているが仕事がなくなるのが怖いのだろう・・・改善しようという動きはない。

悪しき伝統だと思う。労働者の権利なんて認めらない。

ブラックな業界。

 

感情の渦で溺れるのはごめんだ

おはようございます 紅です

少し明るいものの見方ができるようになりました。

 

睡眠は楽し。

昨日は足元をドス黒い醜聞が怨念が漂っているような、そんな怖さがありました。

深夜にSOSメールを打った方たちから今朝、返事が届き少しほっとしています。

 

捨てる神あれば、拾う神あり

 

そう、私にはもう捨てて困るものはなかったんだと。

怖がることはないと。

 

ここしばらく感情的には平穏な生活を送っていたので、感情の渦に巻き込まれるのはなんとハードなことなんだろうと感じています。

カウンセリングのクライアントさんにもっともっと優しくなりたいと感じました。

いえ、もちろん誰に対しても。

 

今日は出かけなくてよい日なので縫い物などを進めたいと思います。

そろそろ春物の半衿もつけなくちゃね。

頑張るぞ〜

 

 

スキャンダルはこう作られるのか

こんばんわ 紅です

混迷しています。

 

人の悪口は好きじゃない。言うのも聞くのも。

 

このブログが「愚痴じゃないか」と言われれば一言もないけど。

ここに書くことでこんがらかった物事を整理しているのかもしれない。

 

私に関する醜聞が飛び交っている1日になったようだ。

漏れ聞こえてくる「噂を聞いた人たちからの声」

なんでこんなことになったんだろう?

 

要するに一人の困ったさんがばらまいたからだと理解している。

大げさにすることではないことでも大げさに言う。

 

人は自説が正しいと声高に言う。

声が小さいと間違っていると誤解される。

でも、同じ土俵に上がるのは嫌なんだ。

 

大の男が女に対して羨望と嫉妬の混ざった視線を打ち消すためにするディスカウント。それを過去にも感じたことがあるように思う。

 

こんな巡り合わせでまた感じることになろうとは。

 

友人に相談して見えたのは

「私の周りには小さい時にいじめられたいじめられっ子が集まってくる」

つまり私の手には追えない。

そこに気づく、自分の限界を知ることが大切なんだと思った。

 

素敵な男性っていないなあ〜

 

明日はもっと明るいもの見方ができるようになるといいのだけど。

驚き桃の木・・・

こんばんわ 紅です

なんとも不可思議な出来事が。

 

知人から食材と寄付された(と思っていた)食料、それを訪れる人に有料で提供したいと値付けしたら「信じられない」と不興を買ってしまった。

「もう二度と関わりたくない」と。

 

人から頂いたものを販売するなどはしたない行為だということなんだろう。

そんなこと考えてもみなかった。

居場所の資金を作りたいと思っていただけなんだけど。

 

考え方の違いとか、思いの違いとかあると思うけど。

陰で思いを述べ合って結託して「あいつはダメ」と決めるのはどうなんだろう?

大人気なくないか?

「君、君、そんなはしたないことはやめなさい」って言ってくれればいいじゃない。

 

伝聞で人を切るわけにはいかないので、メールを送った。

期限を切って。

返事がこなければ連絡先を削除する。

 

嫌なら来なけりゃいいじゃない。

誰も頼んでなし。

 

まあどうでもいいことなんだと思う。

 

私のことが好きな人、私が好きな人が集まる場所になればいいって思ってる。

 

同じ土俵に上がらない

こんばんわ 紅です

昨日の晩は喉のリンパ腺が腫れて苦しかったです。

早めに休んだら復活しました。

寝込んでいる場合ではありません。

 

先週はイベント続き。

クタクタだけどなんとか動いていたのが、昨日疲労のピークに。

今日も昼寝をしてしまった。

 

2月最終日、締め切りの原稿をほぼ1日がかりで2本書き上げた。

どうして最終日じゃなきゃできないんだろう・・・

 

3月は早めに済まそう。

 

確定申告の書類、月末の請求書も書き上げた。

あと何本かメールを送る必要が。

 

2回目の居場所は一人にならないようにいつも誰かにいてもらうことで、スタッフからの吊るし上げは免れた。本来なら送るお手伝いのお礼のメールも送るのはやめた。罵詈雑言は見たくない。

 

気づけばあっちでもこっちでも人は他者を批難ばかりしている。

ねぎらいって言葉忘れているのか?

 

言い返すことも出来なくて。

言い返したって何にもならない。

同じ土俵に上がるだけ。

 

変えなければいけないのはシステムなんだと思う。

 

心の中で「助けて」とつぶやいてる

おはようございます 紅です

書き込みが空いてしまったのはなんでだろう?

と自問自答してみました。

「忙しかったから」「不満が少なかったから」

 

この「はてぶ」は私にとっては愚痴る場みたいになってるような・・・

なかなか言えない本音を語る場ではあります。

 

さて、二回目の「居場所」の日が近づいていてちょっと恐怖感。

住み開きってやっぱり怖い。

迷惑な人が来て居座られても「帰って」と言うと角が立つでしょ。

あとあとも怖い。今回はそれがスタッフなんだから。

 

当日は折悪しく、馴染みの方々が集って他に出かけてしまうそうで、約束していた人にも裏切られ・・・

こういう、一見小さく見える出来事の中から人は「真理」を見たり感じたり。

 

「その方は何を大切にしている方なのか」

が、浮かび上がってくる。

 

様々なことを相手に委ねている。

このスタイルは予定が立ちにくい。でも、無理をしないので細々でも続けられる。

 

「怖い」と思うからいろんな人に声をかけている。今までできなかったことをしている自分がいる。やっぱりありがたい存在なのか?

 

日々の言動で「信頼できる」「信頼できない」の向きに針が小刻みに振れていく。

何か大きな出来事があると一気に・・・

 

当日どのように対処するのかは、決めておいた方がよい。

けれど、自分と考え方が違うから「困る存在」なのであって、考え方の違う人の行動は私には予測できない。予測できないから怖いのかもしれない。

 

「誰か助けて!」

と呼びかけるけれど、反応は薄い。

 

人は誰しも、自分の好きなようにしか動かない。

私のために動いてくれる人なんかいない。

私のために動いてくれたように見えてもそれは突き詰めれば本人のため。

翻れば自分自身もそう。

 

そうわかっていながら、淋しいのも人間。