自分が生きる街を見て感じたこと
こんばんわ 紅です
今朝はまるまる2時間着付け練習をしました。
花嫁の掛下文庫、振袖の帯結び、留袖の着付け・・・
なぜ、練習に足が向かないか原因が見えた。
没頭してしまうのです。
ときを忘れて。
付き合ってはいけない悪い女みたいな感じです。
放してくれない〜
何か習い事に夢中になるってこんな感じなのかな?
ものを習う
ことについてはいつか考察したいと思います。
日々、命題が増えて行く・・・
いま、話題になっている東京の卸市場の話題をニュースで見た。
「日本の土建屋さんってまずいかも・・・」
と、思いながら自分の住む街を30分くらいかけて目的地まで歩いた。
結構蒸し暑い日だったけど、雨が降ってもおかしくない予報だったので
ヘビロテの小紋を着て行った。
さすがに何か変えようと、
白地に藍の博多献上の名古屋帯を締めて行った。
帯締めは母の遺品のかなり古〜い朱の細めの平組。
雨が降ったら帯を解いて、畳んで持ち帰ろうと決めて出かけた。
話が逸れてしまった。
街を歩いていて気づいたのは
日本の街って汚い。
日本の建物って安っぽい。
建物を造る際に、利権て〜ものが絡んで、安っぽい不良品の建物たてて余剰分を掠め取るっていうシステムはきっと戦後間もなくから行われてきたんだろう。
日本の建築技術は素晴らしい。
それも確かだ。
でも、戦前までの話だ。
掠め取ったお金はどこに流れたんだろう?
日本の民を潤す水商売ならまだいいが、きっと外国に流れてしまっているんだろう。
謎はすべて解けた!
日本の建築物には魂が入っていないんだな。
街並みも。
安っぽい店が数年で潰れ、また新しい店が・・・看板も統制がなく目立てばいいんだ。
安っぽい街で自分だけは生き残ろうと足掻いているんだ。
そんな汚い街が嫌だと海外に行って
美しい街並を観光する人たち
以前から、老人になるのが嫌だと思っていた。
日本の老人って美しくない。
海外の老人をニュースで見ると「いきいきしていて美しい」と感じる。
なんでなんだろうっていつも思っていた。
老人が着物着て、日本家屋に住んでいたらもっと美しく見えると思う。
鼻が低いからではなく、短い足のせいでも腰が曲がっているからでもなくシワのせいでもない。
自分の先祖から受け継いだ文化を忘れ去ってしまった日本の人たちが美しくないんだと思う。
たぶん敗戦のショックからまだ立ち直っていないんだろう。
もちろん私だって美しい老人になる自信はない。
だから長生きは望んでない。