紅の平成 ☆ きもの暮らし

特別じゃないふだんの着物とキモノにまつわるあれこれ

今年はお世話になりました。大晦日です。

こんにちは 紅です

このブログのタイトルの「きもの」の話はどこへ行ってしまったのでしょう?

期待してきてくださった方には申し訳ないです。

 

私は日常的にきものを着ているし、仕事にもしている。

特別なことではないのでついつい書き忘れてしまう。

 

このブログを開始したのは「自分を見つめたい」と思ったから。

社会起業家として事業を創りたいと頑張っているのだけど、周りのコンサルさんたちのご意見を聞いているうちにブレブレになってしまい、整理のためにブログを開設。

 

仕事はきものに関することをしたいと思っているのでタイトルを「きもの暮らし」に。

 

自分にとって、本音に近いことを書ける場所として記録している。

 

きものは「着るもの」だからその中身は多様なんだと思う。

昨今はきもの人口が減っているので「きもの=オシャレ、豪華・・・」のような風潮が。

違うんですよ。

きもの着ていても、世の中のことに憂いているし、お金も稼がなきゃいけないし。

 

この大晦日に、成人式の予約がキャンセルに。

来年は何かを変えていかなければいけないんだと思う。

成人式までにはまだ何日かある。

できるだけのことはしよう。

 

今ここにある危機

こんばんわ 紅です

冷えてきました。

 

考えさせられる新しいテーマが現れました。

 

このところ立て続けに、認知症の話を聞く。

なんだか空恐ろしいことになったと感じた。

 

日本は未曾有の高齢化社会に突入した。

・・・自覚がない。

テクノロジーの進化は劇的な改善をもたらすのかもしれない。

 

でも、2016年の一般常識で考えるに、なかなか難しいことになりそうだ。

 

認知症は家族崩壊への触媒かもしれない。

歩みを早めるターボとか・・・

 

認知症になってしまった人の発言権ってかなり狭められてしまうような気がする。

正気の時もあるのに、わかっていない部分が強調されて家族に記憶されてしまう。

 

自分の身に置き換えて想像するに、大変恐ろしい。

冤罪を主張し続けて、破れ続けて、周りの人から疎外される結末を迎える。

「もう、わかりあうことなんかできない」

「こんな姿見せたくないけど、コントロールができない」

「暴れたこと自体覚えていない」

 

寿命が延びたことは喜ばしいことなのかもしれない。

でも・・・

そのおかげで未知の「老いの姿」と遭遇しなければならなくなる。

 

思えば今年話題になった、高齢者の暴走運転。

誰かが悪いということではないのかもしれない。

でも、人生のゴール間近で、人殺しになるのはなんとも辛い話だ。

 

そして、気になるのは、認知症になった時の言動。

自分にはもうわからない。

 

今まで抑えてきたものが噴出してしまうのかも・・・

常日頃から無理に抑えないほうがいいんだろうか?

長寿は本当に喜ばしいのか・・・

 

親が認知症になると、家族にとっても試練の連続。

元気な時の姿ばかり慕われて、まだ、元に戻るのではとコントロールしようとする。

怒る、批難する、文句を言う、諍いをする、皮肉をいう、当てこすりをする、仲間外れにする・・・

 

結果、関係悪化が進む。

 

不信感、憎悪、恨み、怨念

呪いの言葉を私はもう思いつかない。

 

努力しても動かない現実に、無力感・・・希死念慮

家族だって鬱になる。

もう止まらない。

 

毎日毎日、死を口にする、生きる屍のような親に対して

「お願いだから、もうやめて」

と思う気持ちは誰も批難できない。

 

認知症の本人は、言動を覚えていないものだから

「もう少し優しくしてくれてもいいじゃない」

「私なんか死んだほうがいいのね」

 

これが日本の数年後に迫った、標準家庭の姿かもしれない。

政治はオリンピックや豊洲問題、政務調査費に明け暮れていていいのだろうか。

 

そっと、ひとりごと

こんばんわ 紅です

書きにくいことだけど、書いておこうと思ってます。

わかりにくい表現になりそうですが、お許しを。

 

これは私の推測で、真実とは違うと思う。

でも、教えるということについて考えさせられるできごとになった。

 

和裁のクラスは先生一人、生徒三人で均衡を保っていた。

先生は「みなさんはちっともわかっていないですね。」と。

私たちは「ちっともわかっていません。先生がいないとできないんです」

というスタンス。

 

高齢といってもいい年齢の先生にとって、和裁は最後の砦なんだと思う。だから手放すわけにはいかない。教えるわけにはいかない。ヒエラルキーの確認の時間。

 

たぶん手放さなかったのは私にだけではなく、職場でも。

それがちょっとしたズレになったのではないかと思う。

 

着付けの師範が今更という時期に和裁を学び始めた。

師範が師事したのは部外の先生だ。

和裁の先生に教えてもらえば円満だったんだと思う。

物理的体力的事情なんだろうか・・・いや乗り越えられないものではないと思うので、なんらかの「切り離し」が行われたのではないかと思う。

 

師範は器用で、間もなく浴衣を縫えるようになった。

それを和裁をやったことのない着付けの生徒さんに教え始めた。

色とりどりの浴衣が積み上げられている。

 

少し違和感を覚えた。

和裁体験プロジェクトにするなら、和裁の先生を講師にすれば円満なのに。

 

高齢の先生は断ったのかもしれない。

ビジネスの中で、先生は置き去りにされてしまったのかもしれない。

師範からすれば手順も踏んで、内部改革を行ったのだろう。

 

どうしてなのか、会うたびに先生はしぼんでいくように見えた。

 

そんなとき門を叩いた人が。

「新しい人を受け入れるのなら、まだまだ大丈夫なんだな」

少しほっとした。

 

先生は新しい方に、優しい言葉をかけて褒めちぎるようになった。

今までのメンバーにとっては、なんとも座りが悪い。

 

大したことのないことでも褒めちぎるし、丁寧に教えている。

私が耳にしたことのないようなことを・・・

「何度でも聞いていいですよ。教えてあげますよ」

そんな言葉、私は一度もかけてもらったことはない。

 

花嫁着付けを教えてもらっている先輩みたいに「全てを教えたい想い人」と出会ったとでもいうのだろうか・・

  

benikimono.hatenablog.com

  

「教えても理解できないんですから教えられません」

という言葉が私の聞き慣れた言葉。

 

先生は、新しい方に優しく対応してクラスを盛り立てて行く気になったんだろうか?

 

そんな時に、先生はあっけなく引退をほのめかした。

やっと、想い人が現れたのにもう時間がない。

 

程よい時間があったのに、先生はなぜ私に教えてくれなかったんだろう。

必要なことを教えてもらっていたら、もう少し上手になれていたかもしれない。

想われ人でなくてもいいから。

 

私に意欲が足りなかった?

 

教えるってどういうこと?

という問いが巡り続けている。

人生は有限。

 

教えは次世代への贈り物かもしれない。

 

 

 

 

 

 

教えるってどういうこと? その4

こんにちは 紅です

今日は友人が遊びに来てくれました。

 

 

benikimono.hatenablog.com

 

引き続き教えることについて考えている。

 

和裁に関しては、枚数は進むのだが、「わかった」と思えない時期が続いた。

 

門を叩き去っていく人たち。

先生のあんまりウエルカムではないそぶり・・・

私の時もそうだったけど、習い事はこんな物と思っていた。

 

やる気満々でいた人も、灯りが消えたようになっていつの間にか来なくなる。

 

私はお稽古場で無駄がないように、できるところまでは宿題でやっていき、わからないところを学んで帰れるよう努力した。先生に褒めてもらった記憶はない。

 

いつの間にか浴衣は一人で印付けができるようになった。

でも、運針も自信がなく、額縁も曖昧。

それでも長襦袢も一人で縫えるようになった。

 

単も縫えて、袷に。

まだまだあやふやだけど一応縫えるように。

月日は流れ、様々なもの200枚くらいは縫ったのではないかと思う。

 

それでも、まだ「縫えるようになりました」とは言えない。

わからないところだらけだから。

学び続けるということは「わからないという立場」を取り続けるしかない。だからわかるようにならないのかもしれない。

 

この均衡状態に亀裂が入った。

 

この亀裂のことはまた後ほど書きたいと思う。

 

たぶん、何かが起きて先生は急に年をとったような気がしていた。

そろそろかな、予感はあったが先生はついに退くようなことを匂わせた。

 

もう教えてもらえないかもしれない。

 

先に生まれた人の性、先生は生徒を置いて消え去るのか。

 

まだ、学んでいないのに。

どうしよう。

 

自分に置き換えると、仕事を受けるためには元気でいなければという責任を感じる。

約束があるのに死ぬわけにはいかない。

けれどいつまでも生きていられるわけでもない。

 

どこかで終わりはくるのだと思う。

教えるってどういうこと? その3

こんばんわ 紅です

読んでくださっている方に感謝しています。

励みになります。

 

教えるということについて考え込んでいます。その3になります。 

初回とその2のタイトルが違うことに今気づきました。^^;

benikimono.hatenablog.com

 

 

benikimono.hatenablog.com

 

針を持つのは得意ではない私にとっては、「和裁」のハードルは決して低くはなかった。

 

「着付けを仕事にする以上、避けて通れないのではないか・・・」

という気持ちは付きまとっていた。

 

そんなある日、知人が自宅を提供してくれて、和裁のできる年配の方を先生にサークルを立ち上げ、誘ってくれた。そこに通いながら、やはり「教室に和裁を習いに行く」必要性を感じ始めた。(このサークルは先生のご都合で1年ほどで解散した。)

 

和裁を教えている教室を調べて何件か見学した。

 

いろんな講座の一つとして「和裁教室」があるカルチャーセンターを見学した時に「ついて行けそうもない」と感じた。なんというか・・・高校生に戻ったような集団行動っていう感じだったからか? 今になって振り返るとそんな感じ。

 

他に、着物教室の和裁クラスを見学に行った時に、着物を着た年配の先生から「もう一度よく考えて出直してきなさい」と言われた。

 

もう一度、出直して入会した。

なんだかここに行くような気がした。ご縁というのかな。

その頃の生徒は4人くらいだった。

先生は和裁クラスを担当しているけど着付けの先生でもある。

 

先生にはポリシーがあって、「着付けがある程度できるまで、和裁を習うのはダメ」

 

そんなわけで、和裁の生徒は「よそ者」がメイン。

 

教室で浴衣の反物を購入して、浴衣を縫い始めた。

これが一番きれいに縫えているのではないかと思う。

ほとんど先生の手が入っている。

 

和裁を習うと決めた時から、リサイクル店などで反物を買い集めていたので、教室で習うのと同時にもう一枚自宅で縫った。

先生が鮮やかな手さばきであっという間にすることを、家で一人で3時間かけてあーでもないこーでもないと。

毎回失敗してばかりいる自分は

「頭がどうかしているのではないか?」

と思ったものだ。

 

今から思うと和裁の先生も達人タイプで、教えるプロではなかった。

あんまり失敗ばかりすると

「言ってもわからないんだから教えません」とキッパリ。

それでもわからないままでは前に進めない。

相談に行くと、目にも留まらぬ早業で先生が仕上げてしまうので、私はわからないまま通り過ぎることに。

質問したら、なんて変なこと聞いてくるのという状態なのでおちおち質問ができない。

見て盗めという学習法らしい。

 

わからぬまま、また1枚、また1枚と縫い進める。

 

しばらくは同時進行で、家でもう一枚縫ってみるということを続けていた。

 

その間にも時々、門を叩いて和裁を始める人がパラパラ・・・

1枚仕上げられる人はそれほど多くはなく、ほどなく去っていくという繰り返し。

 

いつの間にか、私が入会した時の生徒も皆辞めいてた。

 

 

教えることってどういうこと?その2

おはようございます 紅です

今日はイブ。

私には関係ありませんが。

 

教えるということについて考えている。

「習う」ことではなく「教える」

 

 

benikimono.hatenablog.com

 先輩に花嫁着付けを教えてもらっているところまで書いた。

 

職場の先輩なので「仕事に必要なこと」を教えてもらう。

教養ではなく、現場で使うためのもの。

生きた知識やコツが聞けるのが魅力だけど、こちらが尋ねないと出てこない。

私にとっては未知でも、先輩にとっては「当たり前」すぎることなのだ。

 

「私は教えるのが下手だから」

と言いながら・・・

確かに教えるプロではなく、職人というか達人。

 

教えるプロになる気は無いらしい。

 

齢を重ねられて、「自分の全てを教えたい」と思える人ができたと口にした。

そこにいた人たちは「選外」ということ。

 

自分が選ばれなかったのはあまり楽しくないが、選ばれても困っちゃうというのが私の気持ち。

口にしてもわかってもらえることは少ないが、私が好きなのは「着付け」ではなく「着物」。誰も真似のできないような着付けがしたいなんて思っていない。

「着る人が楽に美しく過ごせる着付け」を目指しているので着物を着ない着付け師さんたちとは

 

「話が合わない」

 

それに、全てを受け継ぐのは、白い紙状態でなければ。タブラ・ラサだっけ?

先輩が選んだ白紙状態の若い人がどこまで着いていけるんだろうか・・・?

 

自分が朽ちそうになるまで握りしめて「教えられない想い」と、それを受けとめる弟子の覚悟ってやっぱり「師弟関係」を結ばないと難しいんだなって感じた。

 

技術の習得は長い道のりだし、選ばれた若い人は今後、結婚出産と環境変化にさらされて「教えよう」という先輩の片想いになるかもしれない。

 

20年以上前に私が着付けを習った先生はあんまり教えるのが上手でなかったような気がする。

モヤモヤのままレッスンが終わることが多かったし、サークルなのでメンバーの進度もまちまちで、目が届かないことが多かった。

 

週一回のレッスンで、私は長襦袢の着方を一人で3か月かかって学んだ。

今、私のレッスンに来てくださるお客様には初回に着物の着付けまで教えている。

お金を頂いているのに「そっちで練習しておきなさい」ってわけにはいかない。

 

当時のサークルでは、振袖の帯結びを練習している上級者たちのモデルばかりさせられた。

モデルは疲れるしつまらない。

「モデルも勉強になるのよ」と。

否定はしないが、たいして学びもせずに「お稽古事・仲間とおしゃべり」の時間として10年も過ごした。

 

ただ、私はお稽古の時に必ず家から着物を着て出かけ、その日は着物で過ごした。

図書館にあった着物の本は読破した。

買いもしないのに呉服の展示会に出かけ、反物を触って回った。

教わることも大事だけど、実践も重要。

好きなことしているうちに、着物についての知識が豊富になっていた。

 

そんなある日、私にとってはかなり高いハードルだったけど和裁を習い始めることにした。

 

あら、また長くなっちゃいました。また次回!

 

 

教えるってどういうこと?

こんばんわ 紅です

今年の夏くらいからだろうか・・・気になってきたことがありました。

短期間で解決するものではないと思うのでライフワークのような感じで時々取り出して考えています。

 

教えるってどういうことなんだろう?

という問い。

 

今までいろんなことを習ってきた。

僭越ながら人にも教えている。

 

教えるということはあんがい難しい。

熱烈に教えればいいというものではない。

わからない人にわかりやすく教えるのが上手な教え方と思っていた。

 

けれど、仕事にすると懇切丁寧がいいわけではない。

そくたく・・という言葉があったけど、それそれ!

鳥の雛が卵から孵る時に、親鳥が外側から殻をつついて助けてあげるという阿吽の呼吸のようなもの・・・それが「教えるもの、教えられるもの」の極意だということ。

 

私は着付けを教えている。

師匠と弟子みたいな関係が嫌なのと、仕事の種類がたくさんあるので束縛されたくなくて定期的なレッスンをしていない。

「来たい時に来てください」

なんともゆるい。

あんまり長く続く人はいない。

 

頑張ってきてくれている人がいる。

でも、こちらから見ても、いつ来るかわからない状態なので「何をどこまで教えるか」組み立てづらい。モチベーションも高まらない。

免状なども出さないので、どのくらい腕を上げているのかもわからない。

 

ある時、レッスン中に無断(というより隠れて)で動画を撮影していたのに気づいて(被写体は私)嫌な気分に。

「学びたい。うまくなりたい」

という気持ちはわかるけど、私は仕事で教えているのに動画をとってショートカットしようとするのは営業妨害じゃあないのかと。

会得したいならちゃんとお金を払ってくださいという気持ち。

 

昔々にできた師弟関係流派一門という構図もあながち悪くないのかもしれないなどと感じたり。

 

自分が教わる側に立つとまた様相は違う。

 

子どもの頃、お琴を習っていた。

先生から

「お家の方に伝えてね」

と言われてお中元とお歳暮の渡し方を教えられた。

月謝と同額を熨斗袋に入れて、その下に台をつけてお渡しする。

台はお菓子など気の利いたプレゼントがいい。

ある時お茶を台にしてきた子がいて、先生はその子が帰った後、私の目の前で

お茶を手で払って

「葬式みたいで嫌だ」

と言った。

「なかなか難しいんだ」

子ども心に感じたものだ。

お免状をいただく時は、先生にも同額のお礼をした。

もちろん台をつけて。

 

その後は、そういうのが嫌で、一門に入らない先生を選んで学んできたようにも思う。

着付けは公民館のサークルで習った。免状なんてないし、カリキュラムもない。

先生が気が向いた時に内輪の発表会をやる程度。

10年やっても、ものにしている人はいなかった。

 

私は「教える仕事」を始めたのでそれなりに練習して教えることができるようになった。

その部分は独学。

そうしたら自分の着付けも理論が通った。

 

そして婚礼着付けの業界に入ることに。

今は先輩に〔70代)花嫁着付けを習っている。

 

やっぱり長くなったのでまた次回!